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自分の幸せは自分で決めようと
そう覚悟してはじめた私の、自分だけの幸せなこの生き方です。
決して友だちが増えたわけじゃないけど
欲しかった赤ちゃんができたわけでもないけど
なりたかった体型になれたわけでもないんだけど
あっきとも喧嘩いっぱいするけど
心の中が段違いに穏やかで明るくて、取り繕う必要のない “わたしの今” がとてもとても愛おしいです。
結婚当初、
好きだった仕事を辞めて田舎に嫁いで
いい奥さんになろうとして苦手な家事に奮闘、
ストレスマックス、
あっきとも毎晩喧嘩して(取っ組み合いの喧嘩もした笑)
心の中も家の中もごちゃごちゃなのに、
外では “できた嫁” “洗練された奥さん” ”愛されてる詩音ちゃん” を装って
仲良し夫婦に見せるのに必死で
毎日心の中がいっぱいいっぱいで苦しかった
いつも、SNS上の誰かを羨ましく思ってました
大好きな人と結婚して
憧れてた結婚式をして
恵まれた環境で自分専用のかわいい車も買ってもらって
お義母さんもすごくやさしくって
里帰りも月に一回のペースでさせてもらって
あっきも私のまずい料理を文句ひとつ言わないで食べてたし
友だちも少しずつできてきた、あの頃のわたし。
新婚当初、朝ご飯を作って苦手なお弁当をなんとか作って
あっきを送り出して、ゴミ出しをしている時に
急によく泣きたくなりました。
(欲しかった幸せを全部手に入れたはずなのに、なんでこんなに目の前が晴れないんだろう。なんでわたしは幸せを感じられないんだろう。)
あの頃、手を差し伸べてくれた友だちもいっぱいいたけど
プライドの高さからわたしは
いつも大丈夫な振りをしていて、
とにかく幸せに見えるように目一杯鎧を着て振る舞ってました
この街には、頼れる人なんて一人もいない、
誰もわたしと仲良くなりたくないのかも、そんな風に被害者意識もすごかった
「たぶんあいつとなら、詩音気が合うと思うよ」ってあっきに言われてて、嫁ぐ前からずっと会えるのを楽しみにしてたあっきの友達の奥さんがいたんだけど、やっと2人で遊ぶ予定ができて、でも当日あっさりドタキャンされちゃって、その後も連絡が来なくなって遊ぶことができなかったことがありました。
きっとわたしなんかと友だちになりたくないんだな
私なんかと友だちになったって、なんの価値もないもんな
何も十勝のこと知らないわたしにいちいち教えるの面倒臭いだろうしな
きっとわたしのこと嫌だったんだろうな
わたしってつまらない人間だもんなぁ
こっちの人は私みたいな遠くから来た人とは友だちになりたくないよなぁ
気がついたらそのひとつの出来事で
わたしの頭の中はこんなネガティブな思いでいっぱいになってた(全然真実じゃないのに妄想って怖いよね)
でも、そこに目を向けたら自分が壊れちゃいそうで
悲しいなって苦しいなって想いに蓋をした
こないだふと目にしたその子のSNSでその記憶がブワッと蘇ってきて、
あの時、わたしにもちゃんと感情があって少しずつ傷ついていたんだなぁって思い出したんです。あの時、すごくわたし寂しかったんだなぁ。
自分の感情を見ないで蓋をすると
どんどん麻痺してきて感情を味わえなくなるんだよね
不妊治療の時も同じことを味わった(すぐ忘れるから何回も同じことやってる笑)
悲しくなりたくないから壊れたくないからパチンと蓋をすると、頭の中で繰り広げられるそれは真実じゃないのにどんどん自分が被害者意識になる
心は簡単に沈んじゃうんだけど、それって全部自分の頭の中で起こってるだけ
あの頃、北海道ホテルの隣のマンションに住んでいて
ウエディングプランナーをしてくれた同い年のさおちゃんがよく心配して遊びに来てくれた
お義母さん、東京の友だち、実家の家族、香港時代の友人、カナダ時代の友人、こっちで出来た友だち、知り合い、スーパーのレジ打ちのいつも声かけてくれるおばさん、いろいろな場面でたくさん勇気づけてもらって助けてもらいました
この人たちが誰一人欠けても、きっとあの頃わたしの人生は終わっていました
それから試行錯誤しながらはじめた、わたしだけの生き方
勝手に当てはめてた幸せなステレオタイプもどんどん捨てました
・いつでも仲良し夫婦
・手堅くて優しい旦那(笑)
・手作りごはん、毎日お弁当
・丁寧な暮らし
・健康なご飯やオーガニック食材
・優しい寛大な奥さん
・いつも何かに頑張ってるわたし
・いつでも笑顔
・結婚したら子供は絶対
・みんなと仲良し
全部ぜんぶやめたら、どんどん幸せになってきました
どんどん本当のわたしが見えてきました、誰にも自慢しなくてもいい誰とも比較しなくてもいい毎日が心地いいです
自分の本音を、できるだけブログでも普段の会話でもいつも言うように意識していたら、
心の中と自分のおしゃべりにギャップがどんどんなくなってきて
鎧も脱げる頻度が増えてきて、信頼度も上がって幸せを感じる心が戻ってきました
(詩音ちゃんは素直だよね、しーちゃんって嘘がないよね)
そんな風に言われることが増えて、昔の自分に戻ってきたなぁって感じてます
軽快に誰の悪口も全然言うし笑、
昨日もあいつのこと話してる時に「目座ってるよ」って言われたし笑
自由な心で、とても身軽な気分でその時の感情を隠さないで蓋しないで
瞬間湯沸かし器のような怒りっぽい自分もいるし
突然涙腺のダム決壊しちゃうような共感力抜群の涙脆いわたしもいるし
感受性がめちゃくちゃ強くて、
子供のように毎日コロコロ変わる自分の感情が、器が耳かき程度のわたしが、面白くって本当に愛おしいです。
いつも穏やかなお母さんなんてならなくていい
いつでも手作りごはんを作るのが偉いんでもない
ご機嫌な友だちだけが欲しいわけでもない
私たちは、いつだって何がいいか何が嫌かは自分で選択できる
私たちは全てを選ぶ自由がちゃんとある
喜怒哀楽、全部たっぷり味わって
思いっきり人生をサバイブしてく覚悟を決めたら、
ざわざわしたり、ソワソワしたり、悲しくなったり、思う存分グータラしたり毎日お気楽です。
ルールを捨てたら、自分をもっと深く知れてこんなに面白いなんて思わなかった。
何もいらない、自分でいられるだけで幸せになれる、
わたしがずっとずっとずっと欲しかったのは、この感情だった。
こうなっていたいってあの頃憧れてた大人像には全くなれていないんだけど。笑
自分の感情も自由になったから、誰かのことも愛おしいなって思えることが増えてきた。
今日も、スリリングで楽しかったり怖かったり傷ついたり喜んだり、たくさんの感情を味わいたいなって思っています。
本当はみんなみんな、素敵なんだよね。