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わたし、日常的にこれやってたなぁ。
今回の祖父母介護問題で気付いたこと。
「隣に住んでるんだから面倒見るのが当たり前だよ」
「それ覚悟で、ここに住んだんだよね?」
「長男の嫁ってそうゆうものだよね」
「お年寄りは大事にしないとダメだよ、だからお願い事されたら絶対だよ」
「車がないんだから、わたしが買い出しするの当たり前だよ」
「90歳過ぎてるんだから毎日、様子見に行かないと何かあったらどうするの」
「妹ちゃんが実家に帰ってみれないんだから、わたしがやらないとダメじゃん」
「義母も運転できないんだから、わたしがやらないとダメなんだ」
「おじいちゃんは絶対なんだから言うこと聞かないと」
「向こうは、悪気はないんだから仕方ないんだから」
そんなのをずっと日常で毎日自分に声かけしてたんだなぁ。わたしの育った環境(お父さんも長男)もあると思うんだけど思考の刷り込みって怖い。そりゃこんなんしてたら、プライベートもなくなる。
本当に心が麻痺してた!!!!!!!!!(あぁ、これ人生で何回め笑)
わたし、一体何回これやったら学ぶんでしょ。
自分の心が一番分かってないし、ちょっと頑張ればできちゃうから無理してやっちゃう癖がついてるんだよね。あとは、いい人に見られたい癖ね。←これね、厄介。
それで体が悲鳴あげてSOS出した時にはもう遅くって。
誰かに気付いて欲しい、少し手伝って助けてってなっても、自分が大丈夫な振りを日常的にしてたんだから、そりゃ気付いてもらえるわけないんだよね。
日に何度の電話も本当はやだったなぁ
1日に何度も行くの大変だったなぁ
買ってきたものに文句言われるのも嫌だった
寂しいだろうから話し相手にならないといけないって思い込んでて1日に1時間も2時間も身内の文句を聞くのも苦しかったなぁ
なんでみんな手伝ってくれないんだろうって苦しかったなぁ
本当はこんないっぱいの心の声があったはずなのに、自分で打ち消しちゃってた!なぜ?
身内を面倒とかお年寄りのお手伝いをするの嫌だなんて思うこと自体が薄情だから思っちゃいけないっ!ってしてたけど基本面倒臭がりのわたしが人のことまでできるわけがない。自分を過信しすぎ。わたしはそんないい人じゃないし、自分のことも時々面倒くさくなって全て投げ出すこともあるのに、そのわたしがいい嫁になりたくていい孫嫁になりたくて頑張ったところで体にガタがくるのも当然だし、そもそも無理だったのに何2年間も頑張っちゃってんの!客観視してみると、1人でコントしてるみたいで笑えてくる。自分だけ被害者になって、悲劇のヒロインごっこがしたかったのか。だって、誰も強制してないんだもん!
義母も、義妹も、旦那さんもみんなみんな、わたしに「やって!」なんて一度も強制してないのに自分で勝手に頑張ってたんだよ。そしたら、向こうの要求が当たり前になってもっともっとになっちゃっただけ。わたしのせいじゃん。笑
途中で、うっすら辛いとかあぁ嫌だって気付いてたけどそれに目を向けたら続けられないから、むしろここに住んでいられなくなるから自分を騙し騙し続けてたんだね。なんて大バカなの、わたしは!!
これ、色んなカテゴリーに関してなんとなくやっちゃってる人ってきっと多いよね?
わたしは、こうして何度も同じことを繰り返して生きてくんだろう。笑
でも少しずつ立ち直るのが早くなってる気はしてる。
今は、家系図を書いてみて自分の立ち位置を確認して(あれ?まずは娘や息子さん達だよね?わたしがこんなに頑張らないといけなくないじゃんっ!)ってしっかり理解して、今まで頑張ったからお休みするのにも罪悪感は持たないように練習中。少しまだ罪悪感は出てくる。「みんなで協力してるのになんでわたしだけ休んでるの?」とか「でも、今まで頑張ったんだもんわたし」とかそんな心のせめぎ合い。
人には優しくできるのに心の中では無意識に自分には厳しくなっちゃってる。これね、もう終わりにしたいんだよ〜。
ここに引っ越してきて、誰かが祖父母の家にきてたら顔出さないといけないって思い込んでてのんびりできなかったことに今、みんな来なくなって分かった。笑。最近は、急に庭に誰かが来ることもなくって思う存分田舎暮らしを、やっっっっと楽しめるようになってきた。
少し安心して気持ちが軽くなってる。すごくすごくうれしい。
耳鳴りやメニエールで介護やお手伝い班から強制終了になったけど、これがなかったら気付けなかったからやっぱりどうしたって人生は幸せな方向に導かれるようにできてるんだ。流れに逆らわないで進んでいくのが大切だね。
1歩進んで2歩下がる〜をしてる最中だけど、ゆっくり自分のペースで光の方へ。
そして、また失敗談をここで披露するわたしの日々よ。みなさんどうぞ笑ってください!わたし自身も笑い飛ばしてます!