結局、守られてる

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2021.05.12

結局、守られてる


3月4月ともう怒涛の日々だった。
悩んだ悩んだ悩んだー!
悶々悶々永遠と悩み尽くした、この3ヶ月。
同じ敷地内に隣におじいちゃんおばあちゃんが住んでいてその介護というか、買い出しなどもろもろの連絡だの、この2年間ずっとずっとあったんだけど。
おじいちゃんは好きだしおばあちゃんも大好きだし、もともと私は実家も祖父母と暮らしていたからお年寄りは大好きっていうか、得意分野。笑。
でも、ここ半年くらいは友達と遊んでいてもどこかに出かけていても連絡が来て「 どこにいるんだ」「 ○○するぞ」「 どうしても今日中に振り込まないといけない」そんなのが2日に1回はあっていつもなんとなく電話がなったらソワソワしちゃうように。私は私を「 隣に住んでるんだからこれくらいしてあげるのは当たり前。苦しくない。みんなやってるんだから大丈夫。」そんな風に自分で自分を大丈夫ってマインドコントロールを必死にかけていました。




今思うと、自分のキャパ以上にやりすぎてた。
ほら、キャパがティースプーンなのにさ。
本当に誰にも頼まれてないのに毎日1日に2回はおじいちゃんおばあちゃんの様子を見に行ってて、その他にもピータンの朝晩の散歩でも会って、買い出しを頼まれてそのお釣りとレシートと買い出し品を持って行って、時々作ったおかずを持って行って、電話がきたら作りすぎたおかずを取りにこいと言われ、畑仕事を手伝ってと言われて、おじいちゃんに会うたびに基本的に誰かの愚痴を聞いて小一時間、ほぼ毎日毎日2年間ずっと。去年の終わりにおばあちゃんの具合が悪くなって救急車で運ばれた時も、脳梗塞になった時も第一発見は私だったのもあって、それからの私は、自分に責任感を植え付けて(私がちゃんと毎日見に行かなくちゃ)って、(もしたった一日見に行かなかった時に何かあって脳に障害が残ったらどうしよう)そんな強迫観念でいっぱいだった。
ここからが苦しみのはじまり。
見に行ったとしても2人とも90歳すぎてるからお昼寝してる時が多くて、寝てたら別の時間にもう一回行く。その間に自分の用事を済ませてでも起きてたら愚痴を聞かないといけない、起きてませんようにとかそんなのを日々繰り返してて。自分ではやりすぎなんて微塵も気付いてなくって、もう違和感を違和感って認識できる冷静な頭じゃなくなってたんだなぁ。おばあちゃんを救急車で乗せた時のあのいつもニコニコ笑顔のおばあちゃんが運ばれる前に救急車を待ってる時、すっごく険しい顔で苦しそうな残像がいつも頭のどこかに残ってて、私がしっかりしないと!!!そんな想いでずっと生きてたなぁ。




今はわかる。
なんで私がここまでやらなくちゃいけないの?
友達が来てても、おじいちゃんから頼まれたらやらなくちゃいけないことが絶対で、断ったら「 じゃあ、自分で自転車で行く」とか言うからさ。最近じゃ、梅沢富美男だと思って接してたんだけど。笑。
でもさ、誰も強制では頼んでないのに。おじいちゃんに言われても断ってもいいし。あっきも絶対しろとは言ってない。あっきママももちろん言ってない。
勝手にわたしが自分で決めてやってたこと。
正しい優しい孫嫁をやってるつもりで、自分でその自分が気持ちが良かったのかもしれない。私、隣のおじいちゃんおばあちゃんを大切にしてますって一生懸命頑張ってたんだろうなぁ。
あっきの親族も「言われても詩音ちゃん、断っていいんだよ!」って言ってくれてたんだけど嫁の私が断ることができなかったし、自分を日々を犠牲にしていい人でいることを選んでたのは他でもないわたし自身だったんだよね。





今は、おじいちゃんおばあちゃんの様子を見に従姉妹やお義母さんも前より多く来てくれてるから、もう私は介護関連少しお休みさせてもらおうと腹を括らせてもらった。せっかくこんな田舎でのんびり暮らしたいって思ってたのに、毎日、それこそ毎時間、隣の祖父母のことを考えて生きてたなぁって今だから思うこと。
せっかく田舎でカーテン無しで暮らしてるのに、急に庭に散歩でこられて大好きなお風呂にもお昼に入れなくなってたほど。あー、カーテンをつければ良かった、そんな風にずっと後悔してたんだけどそれが今は、あっきが「詩音は介護関係から全部お休みさせる!!!! 」宣言を親族みんなにしてくれたおかげで(こんな神旦那いるんだろうか、いたの身近に。絶対的な私の味方の旦那様だった。涙🙏)、お昼からお風呂に優雅に入ったり(あの日からほぼ毎日ここぞとばかり入ってます笑)はだけた格好でダンスしたり歌ったりピータンと寝っ転がったりブログ書いたり最高の日々を送ってます。今までの2年間を取り戻してる感じ。普通に家でのんびりできるってなんて幸せなんだろう。
なんか、解放ー!!!!!!!!!






その宣言をしてくれた前にある事件があったんだけど
そのおかげで私はやっと自分のことやピータン、あっきのために100%生きれるようになったから、その嫌な事件で本当に頭がおかしくなりそうだったけど、今はそのおかげだって逆に感謝に思ってる。
なんだかんだ、守られてるんだなぁ。
あのまんま生きてたら、きっと私は自分の人生を放棄してたし本当は毎日の買い出しや愚痴を聞くのが苦しかったのに自分の心を麻痺させて日々買い出しやおじいちゃんの電話に怯えながら生きてたから、今はやっと清々しい気持ちになれてきた。まだ少し罪悪感もあるんだけど、電話がなるのもやっと怖くなくなった。



介護って、介護してる側がおかしくなるのはよく聞くけど、
実家の母も数年前おじいちゃんを看取った時は、ものすごくしゃかりきで一度、里帰りした時に大喧嘩したことがある。その時は、「 なんでおじいちゃんにもっと優しくしてあげないの?」そんなことを母に伝えたらお母さんが半泣きで「 詩音も、何にもわかってくれないんだから!!!!」みたいなことを言われて不毛な口論をしてお母さん大丈夫かな、なんてプンスカ思って予定を早めて十勝に帰ってきたことがあります。






これって経験してみないと分からないこと。
あの頃のお母さんは、きっとシャカリキじゃないと自分を保てなかったんだなぁ。介護は、強くいないと心がやられちゃうんだよね。そのことをこないだ電話でお母さんに謝ったら「 人間、経験してみないと分からないよね。」お母さんは笑いながら言ってくれたけど、介護っていつゴールが来るか分かんないから早く終われって思っちゃうのも自分を責めちゃうし苦しくなる。子育てもそうだよね。小学校に入るまでなんて長いもん!待てないよ、その前にお母さんが死んじゃうよ!体力も精神も蝕まれて、すごく孤独になるし。
私はツルハでおむつシートを探してる時と、ダイイチでおじいちゃんのバナナを買ってる時に涙が止まらなくなることがここ数ヶ月は何度もあって。あとはあっきに死ぬほど当たり散らしてた。かわいそうに。笑。私のは介護ってほどじゃなかったけど、おばあちゃんが入院してからは寂しがりやのかまってちゃん全開のおじいちゃんの相手をするのに想像以上に心がやられてった。その前にも別の色んなことがあったから心の疲弊がマックスだったけど何度か家族会議も開いてもらってSOSも出したけど隣に暮らしてないとやっぱり、そんなに?って思われちゃうのかもしれない。
ここは本当に一緒に、隣に住んでみないと理解してもらえないと思った。
不妊治療の時も思ったけど、それを経験しないと人って理解できないよね。軽々しく「 分かるよ」なんて言えないなぁって思った。子育て中の人も、妊娠中の人もそう。私には分からないから。それぞれのステージできっと苦しんで頑張ってる人っていっぱいいるよね。




今回の経験で本当に自分が介護される側の時は絶対早めに施設に入ろうと思った!!!
「 でも寂しいから、時々会いにきてね。」
そんなかわいいおばあちゃんになりたい、そう心から思った。
あと、悪口をずっと聞いてるとこっちまで心が死んでしまう。
もう知り合いほとんど全員の愚痴を毎日40分間は聞かされてて、頭がおかしくなりそうだった!!!これもそれも自分で選んで私は聞いていたんだけど、スルーしてたつもりがしっかり私の心に蓄積されてて。悪口ってずっと聞いてると、あぁ自分も誰かに言われてるんだろうなぁって脳に刷り込みがあるから苦しくなるんだろうなぁ。聞く言葉ってこうも大切なんだね。






もう2年間、めいっぱい頑張ってもう思う存分元気な時もたくさん喋ったし、たくさんいい思い出もできたからもう何が起きても後悔しない。
そんなふうに今は思ってます。
今は、毎日介護ヘルパーさん達が変わるがわる来てくれてるから、何が起きても自分のせいじゃないって思えてすごく心が軽い。




勝手に私が自分に課して、2人の様子を毎日見に行ってたことだけど、
自分で自分の首をどんどん絞めてたんだなぁ。
ある人に一度、家系図を書いてごらんってアドバイスをもらって自分の立ち位置をちゃんと視覚化してやるべきこと、どこまでやるのかもう一度考えてごらんって。
そうしたら、え!?
私、頑張りすぎてたー!!!!!!!!!!!!!(何回めなの、この気付き笑。バカなの、私!!!学べないの!?笑)





「 あーやっと解放される。もう毎日様子を見に行かなくっていいんだ。1人で責任を背負わなくって済むんだ。」
そんな風に心の底から、やっとホッとできた。
その事件のせいで、急に突発性難聴になったり耳鳴りが酷かったりメニエール発症したり体が悲鳴をあげたから強制終了がきてあっきが伝えてくれたんだった。もう休みなさい、そんな風に私の体が病気をもって教えてくれた。だから、それにすごくすごく感謝してる。体が声を上げてくれなかったら私はきっと今も変わらず同じ日々を違和感をスルーしながらずっと送っていたと思う。
不妊治療の悩みが落ち着いたら、今度は別の介護の悩み。次から次へと、わたしは悩みたい人なのかな。





・感じた違和感はスルーしないこと(悪口を聞かされてる時点で毎日嫌だ嫌だと思っていたのに笑)
・自分を犠牲にして苦しくなってまで誰かのことをしないこと
・ここまでは無理ってラインをちゃんと決めておくこと
・嫌われてもいいし、誰かのことをもちろん嫌ってもいい
・SOSをちゃんと大切な人には早めに出すこと
・介護(子育てもきっとそうだよね)は、1人で抱え込まない
・介護も子育ても一緒に住んでる人が一番大変、それを理解するのは到底無理。だから口も出さない。文句も言わない。
・外にいる人がとやかく言わない(これは母との体験談にて)
・介護は、できるならお金を払って外部の人にお願いすること!!!!



これを体験を持って学べました。
あのまんま続けてたら私、絶対に病気になってた。いや、もう軽くなってしまった。そんでいつか苦しくなって仕方なくて病気で死ぬか自殺してるか分かんなかったけど、その時は棺桶の中からみんなのことを恨んでいたでしょう。絶対に化けて出る自信があった!!本当に末代まで呪ってたと思う。そんなことにならないで済んで良かった。笑。
こんな生き方、人間は到底無理、特にキャパがティースプーン代表の私には。
あー!すごくいい経験だった。
嫌な出来事だったけど、自分を生きるために引き戻してくれるありがたい出来事になりました。やっぱり、ほら。ピンチはチャンス、ほらね。






この先の私の人生が、いつも自分の心をいちばんに優先して生きれますように。またきっといつの日か、自分の心を置き去りにして悩んで悩んで死にたくなったりするんだろうけど、またこうして気付いて進んでいくんだろうなぁ。私は懲りない学ばない人生だけど、こんなすぐずっこけちゃう私のことも愛しいなぁって思ってます。また徒然綴ります。